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鶴岡八幡宮とは?御朱印には御神印とともに相州鎌倉鎮座の文字が刻まれる

2021/9/2
2021/9/2
鶴岡八幡宮とは?御朱印には御神印とともに相州鎌倉鎮座の文字が刻まれる

相州鎌倉鎮座の文字が刻まれる鶴岡八幡宮の御朱印

全国各地の神社や寺院では参詣の記念に御朱印を頂くことができます。朱印帳に訪れた神社や寺院の御朱印が並ぶと、貴重な思い出となり写真とは趣の異なる味わいが滲み出てくるものでしょう。神奈川県鎌倉市に社殿を構える鶴岡八幡宮では御神印とともに相州鎌倉鎮座の文字が刻まれた御朱印を頂くことができます。

鶴岡八幡宮の御朱印

鶴岡八幡宮の御朱印は、本宮に向かう大石段の下の御朱印所で頂くことができます。普段はスムーズに受け取ることができますが、おまつりなどの開催日には窓口から長蛇の列が繋がります。

大石段の下に並ぶ授与所と御朱印所

大石段の下の御朱印所

長蛇の列が繋がる御朱印所の窓口

鶴岡八幡宮のオリジナル御朱印帳

神社の由緒や歴史物語に因んだ様々な授与品

御朱印所に隣接する授与所には、神社の由緒や歴史物語に因んだお守りをはじめ、様々な願意の授与品が準備されています。

授与品の案内

授与品の案内

仕事守

御刀守

美心守

鳩鈴守

しあわせ貝守

干支守

竹しおり

大いちょう絵馬

源頼朝によって鎌倉幕府の中枢施設が置かれた鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮は1063年に、河内源氏2代目の源頼義が鎌倉の由比郷鶴岡に鶴岡若宮として勧請したのが起源とされています。1180年には鎌倉で平家打倒の兵を挙げた源頼朝によって社殿が現在の地に遷されました。鎌倉に幕府が開かれると敷地内に国政のための中枢施設が整備されたのです。鶴岡八幡宮の玄関の役割を担う三の鳥居からJR鎌倉駅前の方角に向かう参道の若宮大路は1182年に、源頼朝が妻の政子の安産を祈って造営が始められたと伝わります。

鶴岡八幡宮の三の鳥居

三の鳥居からJR鎌倉駅前の方角に向かう参道の若宮大路

若宮大路

三の鳥居の下の太鼓橋からは石畳みの道が整備され、舞殿につきあたります。唐破風の入母屋造りの建物は、1193年に建造されました。この地は若宮廻廊跡にあたり、静御前が1186年には兄の頼朝に叱責された義経を慕いながら心をこめて舞ったと伝わります。

太鼓橋

太鼓橋から中央に向かう石畳みの道

舞殿

舞殿の北には大石段がせり上がります。61段の石段を上りきった正面に、二層建ての楼門が建造されています。中央に掲げられた扁額の「八」の字は、神聖な神の使いとされる二羽の鳩で表現されています。源氏の幟旗に記された「八幡大菩薩」の先頭の「八」の字も鳩で描かれていました。楼門を潜ると本宮です。現在の建物は1828年に、江戸幕府第11代将軍の徳川家斉が流権現造で造営したもので、応神天皇、比売神、神功皇后を祀っています。

舞殿の北にせり上がる大石段

大石段

桜門

本宮

ぼんぼり祭の夜に幻想的に照らされる境内

鶴岡八幡宮では一年を通して、左義長神事、鎌倉まつり、ぼんぼり祭、神幸祭、流鏑馬神事など、多種多様の行事が行われています。例年、立秋の前日から8月9日に開催されるぼんぼり祭では、真夏の夜に境内が約400基の柔らかな灯りで幻想的に照らされます。

ぼんぼり祭の灯りで照らされる石畳みの道

ぼんぼり祭の灯りで照らされる大石段

鎌倉時代に幕府の中枢施設が置かれた鶴岡八幡宮の御朱印には、相州鎌倉鎮座の文字が刻まれます。神社の境内には1180年に平家打倒の兵を挙げた源頼朝の力強い意気込みが漲っているようです。

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