2022年11月末、国連教育科学文化機関(UNESCO)は、日本政府が申請した民俗芸能「風流踊(ふりゅうおどり)」を、無形文化遺産として登録することを決めました。
日本各地で伝承されてきた、踊りを伴う民俗芸能41件が「風流踊」として登録されます。とはいえ、〝風流踊〟なんてあまりなじみのない言葉ですよね。
この記事では、改めて「風流踊」の特徴や、その歴史などについて解説します。
祭をより華美に進化させた「風流の精神」
そもそも「風流踊」とはどのような踊りなのでしょうか。
日本全国で親しまれている盆踊りも風流踊の一つです。今回無形遺産に登録された41件の中には、盆踊り以外にも、中世〜近世に人々に広く愛唱された小歌を取り入れた小歌踊りや、修験道の影響がみられる剣舞(けんばい)などさまざまな踊りが含まれています。
つまり、「風流踊」は共通の型を持った踊りではなく、平安末期に広がった、「華やかでにぎやか」「人目をひく」さまを表す「風流(ふりゅう)」の精神を体現した踊りのこと。華美な衣装をまとい、にぎやかな囃子に合わせて歌い踊るなど、風流の精神に則る民俗芸能が総じて風流の芸能と呼ばれ、その中のひとつが「風流踊」なのです。茨城県日立市の「日立風流物」のようにからくり人形と山車が華やかになった例もあります。
それでは、なぜこれらの民俗芸能は、華美で人目を引く=風流化されてきたのでしょう。それは、各地の風流踊が、何を願って行われてきたのかをひも解くと見えてきます。
例えば、今回の41件にも含まれている京都市の紫野・上賀茂などで伝承されている「やすらい花」は、疫病神を鎮めるために行われてきたといわれています。古来より日本ではいまのコロナウイルス感染症のように、都を始め各地で伝染病が蔓延しました。病気はどこからやってくるのか、どうすれば治るのかも分からない中、人々はこれを祟り神の仕業と考えます。
当時は「御霊(ごりょう)信仰」と言って、不幸な死に方をした霊が、生きている者たちに天災や病といった災いをもたらすと広く信じられていたのです。
そこで、この神を鎮めるために、おもてなしをする心が生まれます。このおもてなしが年々華やかになって(風流化して)きたのだと、1180年ごろに編まれた『梁塵秘抄口伝集』が伝えています。
久寿3(1156)今宮神社 やすらい花「京ちかきもの男女紫野社へふうりやうのあそびをして」
※平安時代『梁塵秘抄口伝集』(12世紀後半成立)より
つまり人々は、神仏に自分たちが生きていくための願いを届けるため、派手に着飾り、鉦や太鼓を大きく打ち鳴らしながら、歌い、踊るようになったのです。
流行と地域文化を取り入れ、多様な踊りへ発展
神仏への願いは、疫病退散の他に雨乞いであったり、稲の虫害を忌避して行われる虫送りなどの行事が風流化したものもあります。
東京都西多摩郡の「下平井の鳳凰の舞」は、京都から伝わった雨乞い踊りが風流化したもの。大太鼓を中心に、赤い頭巾をつけた男が力強く踊ります。江戸歌舞伎の所作や台詞まわしも取り入れられており、東西両都の影響を受けた特色ある民俗芸能です。
今回の41件の中でも多数を占めているのは、盆踊りが風流化したものです。ルーツは一遍上人が始めた「踊り念仏」にあると言われており、長野県佐久市の「跡部の踊り念仏」は往時の形を今日によく伝えている行事です。
当然、念仏は死者の供養のためにあげられるものですが、人々は、念仏を唱えながら踊ることで、法悦の境地=一種のトランス状態にも至ります。
先行して無形文化遺産に登録されていた神奈川県三浦市の「チャッキラコ」は、豊漁豊作祈願の行事が風流化したものです。室町時代には女児に流行歌を歌わせる小歌踊の芸能「ややこ踊り」が流行りました。「チャッキラコ」もそうした流行を取り入れた芸能で、楽器などは使われませんが、年配の女性の歌に合わせ、晴れ着で華やかに着飾った少女たちが踊ります。
足で蹴り上げ、悪霊退散――〝踊る〟ことの意味
一方、「風流踊」の「踊」の部分も重要です。日本の芸能には、能や神楽などにみられる“舞い”と、盆踊りなどにみられる“踊り”の二つの動きがあります。
この二つを比べると、「舞い」はすり足での旋回運動が中心となり、「踊り」は足の上下運動、あるいは跳躍の動きを伴います。
民俗学的解釈では、「舞い」の旋回運動は、実りなど神がもたらすと期待する良いものを大地に巻き込もうとする動きであり、一方の「踊り」には、私たちの生活を脅かす悪いもの(御霊がもたらす天災など)を生活圏外の向こうに飛ばしてしまおうという動きなのです。
例えば、岩手県盛岡市の「永井の大念仏剣舞」、北上市・奥州市などで伝承されている「鬼剣舞」。〝舞〟という名前ですが、修験道の「反閇(へんばい)」という、大地を踏み締める動きを取り入れたダイナミックな踊りです。
これらは死者、先祖供養、悪霊を祓う目的で行われてきましたが、芸能と結びついて風流化。得物を持って大地を踏み締め、足をけりあげる動きで邪気を払い、大地を踏みしめ悪いものをどこかへ送ろうとしているのでしょう。
送られるのは悪霊だけではありません。日本三大盆踊りの一つ、秋田県羽後町の「西馬音内(にしもない)の盆踊」は、優雅な踊りぶりでも有名ですが、編み笠や「彦左頭巾(ひこさずきん)」という黒い頭巾で覆面をして踊られることでも知られています。
この盆踊りは、別名〝亡者踊り〟ともいわれ、顔を隠すことで踊り手その人の個性を消し、踊り手自身が先祖の霊を受け入れて一緒に踊ることでもてなし、そして再びあの世へと送りだします。
三大盆踊りでは岐阜県の「郡上踊(ぐじょうおどり)」も登録されました。盂蘭盆の徹夜踊りでも有名な盆踊りですが、仮装して踊ることや、観光客の飛び入り参加も認められているなど、参加者が楽しむ踊りであるのも大きな特徴です。
ユネスコに評価された、風流踊の社会的機能
そもそも供養や悪霊祓いの行事が風流化してきた背景には、神や霊を楽しませる理由の他にも、「その時期に人が集まれる」という側面があったことは否めません。
今回登録された41件の開催時期を見ると、田植を終え比較的農作業が少なくなる6月から9月に開催される行事が多いことがうかがえます。多くの人々が集まれるこの時期に、風流はじめ年中行事を集落で行うことでムラの結束を高めてきたとも言えるでしょう。
文化庁による「風流踊」の登録提案書には、「特に災害の多い日本では、被災地域の復興の精神的な基盤ともなるなど、文化的な意味だけでなく、社会的な機能も有する」と書かれています。近年も震災で人々がバラバラになってしまった自治体の人々が、祭の再開を復興のゴールに定めて頑張っていたという話もあります。
風流踊に限らず、祭と祭礼は、コミュニティの結束や再生の基盤として大切に伝承されてきたのです。
今回ユネスコ無形文化遺産に登録された41件以外にも、日本各地にはたくさんの風流踊があります。登録をきっかけに、地域色豊かな日本の祭に注目が集まることでしょう。
ぜひ皆さんも祭に足を運び、風流の精神と、祭の力を感じてみてください。