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奇跡の歴史〜日本最古の民謡「こきりこ節」に迫る!〜

更新日:2021/12/17 Yuji Niimi
奇跡の歴史〜日本最古の民謡「こきりこ節」に迫る!〜

日本最古の民謡と称されるこきりこ節。

「民謡の宝庫」の異名を持つ五箇山の代表的な民謡であり、こきりこやささらといった楽器とともに奏でられる素朴な音色が特徴です。また、半世紀以上に渡って学校の音楽教材として取り上げられていることからも、皆さんも一度は触れたことがあるのではないのでしょうか。現在では例年9月下旬に富山県南砺市の上梨白山宮で行われる「こきりこ祭り」を始め、五箇山内外の様々なイベントでその演奏を楽しむことができます。

やはり抜群の知名度を誇ることもあり、こきりこ節の歴史は多様なサイトで紹介されています。しかし、その来歴は非常に複雑であるにもかかわらず、それぞれの推論について十分な考察がなされてないのではないでしょうか。また、消滅寸前の状態から再発見される過程など、こきりこ節には興味深いストーリーが存在するのも確かです。

そこで、本記事は可能なだけ学術的な視点も織り交ぜつつ、より深くこきりこ節の歴史に迫っていきます!今日に至るまでの形成過程を明らかにすることで、民謡が内包する根本的な性質を知ることができるかも?

そもそも「こきりこ」とは?

歌の名前となっている「こきりこ」は、2本の細い竹で構成される打楽器。歌の拍子に合わせて、手首をくるっと回して打ち鳴らす動作が特徴です。ちなみに漢字では「筑子」と書きますが、これは「筑」が「竹」を意味するからだそう。*1

長さは歌詞にもなっている7寸5分(約23センチ)ですが、利賀村のバージョンであるこっきりこ節では7寸3分(約22センチ)と、多少差異があります。1970年代に富山県民謡の集成にあたった黒坂富治は、このことについて「構造が異なるのか、曲尺と鯨尺(くじらじゃく)の寸法の違いかと訝られる」と記していますが、確かなことは不明だそうです。*2

こきりこの作成に用いられる材料は、合掌造りの住宅で見られる細い竹でできた天井。囲炉裏の真上で長年燻煙されたすす竹を切り、中心部をくり抜いて作ります。五箇山では実物が民俗館などの施設で展示されており、中には何十年もの間燻された竹を使っているそうです。

一応こきりこ自体は五箇山のお土産処で買うことができますが、これはあくまでもお土産用に短期間で作られたもの。やはり「本物」は見た目や太さだけでなく、音の響きや明瞭さが段違いに良いので、ぜひ現地で違いを実感してみてください!

五箇山の上梨集落にある国指定重要文化財「村上家」。囲炉裏の上部に位置する竹が黒く燻されているのが見て取れます。 写真:筆写撮影

歴史的に見ると、こきりこを用いていたのは放下僧(または放下師)と呼ばれる演者です。

放下とは元々禅宗で使われていた用語で、全てを投げ捨てて無我の境に入ることを「放下す(ほかす)」と言いました。五来重氏によると、本来は「禅宗の教えである「放下」を解く布教をしていたこと」が放下僧の本来の姿だったそうです。*3しかし、次第に宗教性が薄れることで、中世には様々な大道芸を行う僧や演者のことを「放下」と称するようになりました。

放下僧の存在とその変遷については、すでに1296年に作成された絵巻物である「天狗草子・三井寺之巻」の記述から見て取れます:

「放下の禅師と号して、髪をそらずして、烏帽子(えぼし)をき、座禅の床を忘て、南北のちまたに佐々良すり、工夫の窓をいでて、東西の路に狂言す」

また、室町時代の絵巻である「七十一番職人歌合」には、こきりこをあやつる放下の絵が描かれています。

「折烏帽子(おりえぼし)を被り、鉢巻をし、小袖・袴姿に腰蓑(こしみの)を着け、藁製の脚半(きゃはん)・草鞋を履く。」

なお、放下僧は田楽法師の流れを引くとされており、後述する文献と併せて「こきりこ節は田楽の流れを汲んでいる」という定説の根拠となっています。明記されていないものの、教育芸術社による「こきりこ節」の説明からも放下僧が田楽とこきりこの架け橋となっていることがわかります:

 「『こきりこ』は田楽として歌いつがれてきました。田楽とは,田植えにあたり豊作をいのる田遊びから発達した都市の芸能で,平安時代から南北朝の時代にかけて大流行したそうです。長い間独自の文化をはぐくんできた五箇山にそのような都の文化が残っているのは,外部のだれかが伝えたのだろうと考えることができます。」*4

こきりこと放下僧の関係性、そしてこれらの文献に記述されている服装はこきりこ節を変遷を辿る上で非常に重要ですので、ぜひ頭の隅に置いていてください!

白山宮での奉納こきりこと、放下僧の姿をした踊り手によるささら踊り。 写真提供・帰属:南砺市観光協会

  • *1 越中五箇山筑子唄保存会「こきりこ その由来と歴史 ほか」2001, 28.
  • *2 黒坂富治「富山県古学民謡採録採譜事業・中間報告書:」 1972, 36.
  • *3 坂本要「踊り念仏の種々相(2)=導御・一向・一遍・他阿ー」2016, 117.
  • *4 教育芸術社「郷土の音楽:富山」

 

江戸時代の書物に記されるこきりこ節

放下僧や田楽との関連性があるこきりこ。江戸時代の文献にも「筑子唄」や「コキリコ躍」などといった名前で多数登場することからも、歴史の深さを伺い知ることができます。全てを紹介すると長くなってしまうので、今回はその中でも「奇談 北国巡杖記」(1806)の抜粋をご紹介!:

「越中五ヶ山に、邑数七十二郷あり。こゝにいにしえより、神楽をどり、こきりこ唄とて囃しものあり。女は常にも白絹のかづらひもを頭にかけ、うしろへ結たれ、白絹の石帯をかけて、人にまみへ、踊るときもかくのごとし。 平家の類葉落居して村民となり、今に子孫あまたある事にて官名を名乗る。されば毎仲秋のころ、こきりこ踊りといへるを催すに、笛太鼓鍬金にてこれをはやす。 筑子の竹のうちやう七五三、五五三、うちはやす女竹の長さ五寸五歩丸竹二本なり。是をこきりこのふたつの竹といへり。いと鄙めきて古雅なれば左に志るし侍る 」*5

。。。難しいですね。ということで、こきりこ節に関わる重要なポイントを3つ抽出しちゃいました!

1.中秋の日に、こきりこ節は催される
2.囃子物は笛・太鼓・鍬金、そしてこきりこである
3.歌は田舎風に感じられ、また古風で優雅だ

それぞれの解説をしますと、中秋は旧暦の8月15日のこと。今日において、こきりこ祭りが白山宮の例大祭の一環として9月に行われるのと無縁ではないでしょう。

次に楽器ですが、特に注目して頂きたいのは「鍬金」。田畑を耕す時に用いるクワの金属部分を打楽器に転用したもので、その背景から田楽でも使われていたとのこと。ここからも、田楽とこきりこ節のさらなる関係性が伺えます。

奇談北国巡杖記のこきりこに関する記述。こきりこと鍬金のスケッチも確認できます。 画像:学術機関リポジトリデータベース(IRDB)

そして一番重要なのは、3つ目のポイント。そもそも「奇談 北国巡杖記」は、鳥翠台北坙と言う方が北陸地方の名所旧跡を回った際に見聞した情報を集めた書物です。当時の旅人すらも古いと感じたということは、それだけ「こきりこ唄」は長い歴史をかけて受け継がれていることを示唆しているといえるでしょう。

このように、江戸時代後期にかけて数々の書物にその存在が記された「こきりこ」ですが、時代の変遷とともに消滅しつつありました。このような状況下から、いかにこきりこ節は日本一の知名度を誇る民謡へと返り咲いたのか?次章で詳しく見ていきましょう!

*5 鳥翠台 北坙「奇談 北国巡杖記 巻2」10-12.

こきりこ節「再発見」のストーリーとは?

時は進んで20世紀。伝統芸能が改めて日の目を見る中、学者は古文献に記されている「こきりこ」の存在にも注目し始めます。その際たる例が、柳田國男が1911年に日本の踊りについて著した「踊の今と昔」です。この論考の第6章では、「コキリコ踊」についてこのように記述しています:

「越中五箇山は庄川中流の盆地にて自分も通過せしことあり昔懐かしき地方なり。この地にコキリコ踊と云うものありしことは三國志に引用せる北國巡杖記又は雜事記第十八巻などに見ゆ。越の下草には今は年たけたる者ならては知らずとあれば大凡百五十年前迄は存ぜしなり。(後略)」*

本文で普及されている「越の下草」は18世紀後半の見聞録で、この時点で既に若者は踊らず、年寄りしか覚えていなかったそう。また「踊の今と昔」の第8章では、

「放下が持っているコキリコというものも、やはり一種のササラであると思う仔細(しさい)あり」(現代語訳は筆者による)」*6

と記されており、当時から五箇山のこきりこと田楽は何かしらの関係性があると考えられていたことが伺えます。

これに触発されたのが詩人の西条八十で、1930年に「こきりこ節」を探し求めるために五箇山を訪問しました。しかし、結局は歌える人を探し出すことができず、西条氏は失意のうちに帰還します。

西条八十が訪問した当時は、ほとんどの住宅が合掌造りでした。また、道も今のように整備されていなかったため、城端から車で3時間かかったと「民謡の旅」に記されています。写真は現在の相倉集落。 写真提供・帰属:南砺市観光協会

しかし、その3年後には高桑敬親という五箇山の郷土史家が発掘を試み、ついに「山崎しい」という、こきりこを知っている老婆からの聞き取りに成功します。そして戦後には黒坂富治をはじめとした著名な学者が五箇山で鑑賞しただけでなく、「こきりこ」のための保存会が設立されたことで、自然消滅の危機から脱却しました。1957年に現地で出版された文献からも分かる通り、現在でも語られているこきりこの説明はこの時期にほぼ確立されています:

「要するに藤原時代に発生した田楽が、五ケ山に土着するに至った、平家の落人にうけつがれ、さらに吉野朝の遺臣たちにおよんだことから端を発するのである。この吉野朝の遺臣達は、世に希望を失い、捨て腐れの放下僧となつて田楽を踊りながら全国を放浪した。そしてその頃から五ケ山では田楽が「こきりこ」ー「筑子踊」と書かれたーとよばれるようになった。」(原文ママ)*7

ここで興味深いのは、こきりこ(またはその原型である田楽)が五箇山に流布した時期に関して、平家落人節と南朝遺臣節という、二つの説が記されていることです。まず前者ですが、先ほどご紹介した「奇談 北国巡杖記」には五箇山の人々は平家の子孫であると説明されているだけでなく、

「浪の屋島をとくのがれて来て 薪(たきぎ)こるてふ 深山べに 烏帽子(えぼし)狩衣(かりぎぬ)ぬぎうちすてて 今は越路(こしじ)の杣刀(そまがたな)」(現代語訳)*8

という、現在の麦屋節でも見られるフレーズが「こきりこ」の歌詞として紹介されています。この記述こそがが、「源平合戦から五箇山に逃れた落人がこきりこを伝えた」という、平家落人伝説の根拠となっているのです。

平家落人伝説は、五箇山の麦屋節(写真)にも受け継がれています。 写真提供・帰属:南砺市観光協会

次に後者ですが、これは戦後に高桑敬親が平家落人伝説の信憑性に疑問を投げかけたと共に提唱した説です。具体的には、南朝武将である新田義貞に従っていた武士が、越前から美濃(現在の岐阜)や白川を経由して五箇山へ落ち延びて豪族化し、その過程で田楽をもたらしたとのこと。*9いずれも確たる証拠はありませんが、現在では有力な説ととして併記されています。

さて、上記の過程で「唄」としてのこきりこは再興されたものの、山崎しいが知らなかったこともあり、踊り方の解明までには至っていませんでした。しかし、1951年に高桑敬親は踊りを覚えている老婆を突き止め、「筑子踊」の踊り方を教えてもらうことに成功。その後、保存会の尽力によって、「ささら踊り」をはじめとした、数々の踊りがレパートリーに加えられました。

最後は、こきりこ節の衣装。こちらも、踊りと同時期に古文献と聞き取りからの情報を基に、再現されました。具体的には

  • 地方:直垂姿と折烏帽子(女性は水干、朱袴で立烏帽子)
  • ささら踊り:直垂括袴、綾藺(あやい)笠
  • しで竹踊り:麻小袖、白帯で結んだかつら紐

 

というように、鎌倉時代の田楽法師や放下僧などの服装がベースになっています。*

以上のことから分かる通り、今日のこきりこ節は、多くの人々の情熱と偶然によって奇跡的に復活した民謡なのです。

白川宮で開催されるこきりこ祭りの様子。数々の人々の努力があったからこそ、こきりこ節は現在まで歌い、そして躍り継がれているのです。 写真提供・帰属:南砺市観光協会

*5 柳田國男「踊りの今と昔 人類学雑誌大二十七巻第一号」1913, 7.
*6 柳田國男「踊りの今と昔 人類学雑誌大二十七巻第二号」1913, 78.
*7 高道正信「五箇山哀話」1957, 122.
*8 鳥翠台 北坙「奇談 北国巡杖記 巻2」1808, 11.
*9 川村清志「近代における民謡の成立 富山県五箇山地方「こきりこ」を中心に」2011, 195

なぜこきりこ節は日本一古い民謡と呼ばれるのか?

いかがでしたでしょうか?総括すると、

  • こきりこは、燻した竹でできた楽器である
  • こきりこ節は田楽が祖とされる民謡で、江戸時代後期にはすでに古いとされていた
  • 現在のこきりこ節の演奏様式は、1933年の再発見以降に再現されたものである

 

ということが言えるでしょう。

今回は読みやすさも重要視したため、全ての古文献や楽器をご紹介することができませんでした。というのも、こきりこ節の最大の特徴は、その豊富な資料量。ぜひこきりこ節についてもっと調べてみることで、日本の民俗芸能に興味を持ってもらえると嬉しいです!

さて、こきりこ節の本場である五箇山では、毎年9月25~26日に「こきりこ祭り」を開催しています。また、「四季に舞うこきりこ踊り」という定期公演が、季節ごとに行われています。来年2月には合掌造り集落ライトアップなどのイベントも並行して行われるので、ぜひ「日本の原風景」を体験してみては?

冬の菅沼合掌造り集落。写真提供・著作権:南砺市観光協会

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祭り開催情報

名称 【2021年開催中止】こきりこ祭り
開催場所 富山県南砺市上梨
開催日 2021年9月25日(土)、2021年9月26日(日)
毎年9月25日、26日に開催。
アクセス JR城端線城端駅から加越能バス五箇山・白川郷方面行きで34分、上梨下車すぐ
関連サイト https://www.mapple.net/spot/16000468/
https://www.info-toyama.com/event/40030/
この記事を書いた人
オマツリジャパン オフィシャルライター
イギリスの大学で音楽学を専攻しています。研究分野は民謡を中心とした民俗音楽と、盆踊り。中部地方のお祭りをメインに、民俗芸能・祭りの歴史などについてご紹介します!

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