平安時代、政治闘争に敗れて左遷され、非業の死を遂げた菅原道真公。当時は怨霊となって天災や疫病をもたらすという御霊信仰により火雷天神として大変恐れられました。何せ当時の京都は道真の死後、雷が襲う天変地異に見舞われ、疫病が大流行。「これは手厚く祀らねばならん!(そうじゃないと祟りが怖い)」ということで神として崇められ、天神信仰が始まりました。
すると次第に怨霊ではなく、慈悲・正直・芸能・学問の神として信仰されるようになり、各地に天満宮が建てられました。代わってむしろ、荒ぶる神としての性格は行疫神である牛頭天王(=スサノオ)の担当となり、疫病を鎮めるための天王祭(祇園祭)が全国に伝播していきました。
〇天王祭(祇園祭)については、こ ...