オマツリジャパンでは「よさこい」をフィーチャーし、魅力あふれるチームをご紹介していきます。今回は、来年70年目を迎えるよさこい祭りで、最高位にあたる『よさこい大賞』を過去最多の9回受賞している、実力チーム「ほにや」。その代表であり、創設者である泉真弓氏のインタビューをお届けします。
目次
よさこいが進化する瞬間に立ち会った “変革期” を肌で感じた、はじめてのよさこい。
「踊る人と見る人と一緒に創るよさこい」をコンセプトに、心掴む艶やかなよさこいを展開し続けるほにや。1991年に高知で結成をしましたが、ほにやでの実話を元によさこいを題材にした映画「君が踊る、夏」のモデルになったり、ドバイ、オーストラリア、タイ、カタール、台湾といった海外遠征に出向いたりと、その人気は高知だけに留まらず、今や世界にまで広がりを見せています。
今では自チームのみならず、全国各地のよさこいチームの衣装デザイン・プロデュースを手がける泉氏ですが、よさこいに深く関わるきっかけになったのは、とあるチームの衣装デザインだったのだそう。
結成から31年。長年よさこい界のトッププレイヤーとして走り続ける泉氏に、「人々を魅了し続けるほにやの魅力」、そして「泉氏が考える衣装への想い」について伺いました。
ーーーチーム名である「ほにや」の由来を教えてください。
ほにやは土佐弁で「ほんとうにそうだね」と、相槌を打つ際に使う昔言葉です。最近では耳にする機会も少なくなりましたが、私たちが子どもの頃は、おばあちゃんたちがよく使っていて、私の祖母も、どんな些細なことにも「ほにや」と耳を傾けてくれました。何ごとも否定しない大らかでほっこりとした、優しい空気感を持っているその言葉が好きで、何の迷いもなく「ほにや」と決めました。
ーーー泉さんの家系は元々呉服屋さんなんですよね?
母方の実家は代々、中種(現はりまや橋)商店街で、また、父が営む呉服屋さんが京町にありました。私自身は高校二年生になるまでよさこいを踊っていなかったのですが、毎年店の前で披露されるよさこいを見て、よさこいのある風景が当たり前として育ちました。
ーーーはじめてよさこいを踊られたのは高校生だったと話されていましたが、そのきっかけは何だったのでしょうか?
友達のご実家がよさこいチームを出すことになり、友達から誘われたのがきっかけです。それが「青果の堀田」というチームでした。
ーーー新聞でお見受けしたんですけど、そのチームがよさこい界に音楽の新しい風を吹かせたんですよね?
そうですね。よさこい音楽にロックバンドを初めて持ち込んだチームが青果の堀田さんだと思います。そのインパクトは凄くて、次の年からロックバンドの生演奏をするチームが爆発的に増え、進化するよさこい界に新たな世界を広げたチームの一つだったと思います。
ーーーよさこいの変革期を内側から見られていたということなんですね。
偶然ですが、そうかもしれませんね。新しいことがはじまる時は必ず賛否はありますが、若者のパワーが爆発して、時代を動かしていく瞬間だったと思います。よさこいは他のお祭りと違って、立ち返る神様がいないんです。今を生きている人の為のお祭りです。
本来、日本のお祭りの目的は『神様に感謝する』こと。でも、よさこいは「高知の人々を元気にしたい」という想いではじまったお祭り。だからこそ、時代の中で生き物みたいに軌道修正しながら、人々の想いと共に成長してきたのがよさこいだと思っています。
「衣装の役割は、誇りと笑顔を引き出すもの」衣装プロデュースが結んだよさこいとの縁
時代のうねりをチームの中から感じた数年後、京都の美術学校へ進学し、その後東京のアパレルメーカーでデザインの勉強をされます。その行動が、泉さんとよさこいを再び結びつけていくことになります。
ーーーよさこいに深く踏み込まれたのは、「いろはにほへと」というチームの衣装プロデュースからなんですよね?
高知で住むと決めてから、高知でしか生まれないデザインを創り出したいと試行錯誤して、高知の生地「土佐つむぎ」をつかった子供服ブランドの立ち上げ活動している時に、「いろはにほへと」というチームを立ち上げるため、衣装を作ってほしいとお声がかかりました。その当時は多くのチームが法被を着ていて、「衣装デザイン」という言葉すらなかった時代に「かっこいい日本の祭りを!かっこいいよさこいを創ろう!」と、音楽・振り・衣装の担当が集まって話し合いを進めました。それぞれの役割の人たちが集まってコンセプトを決め、テーマに沿ってつくるということは、その時代には画期的なことだったと思います。
ーーーそのときに泉さんが考えられた衣装が、革新的だったとお聞きしました。
ありがとうございます。高知には「フラフ」という大きな旗があるんですけど、元々は5月のお節句で鯉のぼりの横に立てるもの。私は5月の空が大好きで、空いっぱいにたなびくフラフの風景が気持ちいいなって。でも、フラフってお子さんへの想いがつまった大切なものなのに、ある程度すると日の目を浴びることがない。なのでそれをもう一度表に出したいと衣装にさせてもらったんです。
ーーー素敵ですね!反響もすごかったんじゃないですか?
100人規模のチームでしたが、次の年には1,200人の応募が来たそうです。青果の堀田さんがよさこいにロックを取り入れたときもそうだし、いろはにほへとさんの時もそうだと思うんですけど、新しい風が吹くと人が動く。若い人たちの熱量を形にしていくことは社会にとっても大事なことだなと、身をもって体感した出来事でした。
ーーーそのときの想いが、ほにやの素敵な衣装制作へと継承されていると推察しますが、泉さんがそのときから衣装で大切にしていることは何なんでしょうか?
着たときに踊り子さんが誇りを持てる衣装を作っていきたいと思っています。もちろんデザインはテーマや時代によって変わっていくので、表現は変わっていきますが、踊り子さんが所在する所(チーム・地域・国)に誇りをもって堂々と舞台に立ち、本心からの笑顔を引き出すことが、衣装の役割だと思っています。
垣根をとりたい!ほにやの代名詞「踊る人も見る人も一緒に創るよさこい」へ
ーーーいろはにほへとの衣装制作をされた数年後に、ほにやを立ち上げられたんですよね?
いろはにほへとでは、濃く楽しくよさこいに携わった4年間でした。いろはにほへとが解散して久しぶりに外からよさこいをじっくり2年間見てみました。そこで感じたのは「踊り子さんと見ている人の間に、高い垣根がある」ということ。双方が一方通行で楽しんでいるように感じ、それは日本で唯一の自由な祭りよさこいとしてもったいないなって。だからこそ垣根をとりたいというか、「踊る人も見る人も一緒に創り上げるよさこいをつくりたい」と思ったんです。
ーーーそこから生まれたのが、ほにやなんですね。ほにやには、「ほにやよさこい、踊らにゃそんそん」という素敵なフレーズがあると思うんですけど、これも設立当初からあったのですか?
初めは掛け声みたいな形で入っていました。当時の踊りは前の方ばかり向いて踊っているイメージが強かったんですけど、お客さんを巻き込むようにしたいと。フレーズとして耳に残るだけでなく、お客さんの方を向いて、お客さんも一緒に踊ってくれる振りにすることで、会場全体で一体感を生むきっかけになったと思っています。その頃から高い垣根が少しずつなくなってきて、私の思うよさこい祭り像が強く固まってきたと思います。
よさこいの醍醐味の一つである、「お客さんとの近さ」。街とともに発展してきたからこその空気感。あのフレーズが毎年入っていることで、見る側としても楽しみが増えるような感覚もあります。
『笑顔のキャッチボール』から生まれた使命感
オリジナル和布製品の製造・卸し・販売を行う有限会社ほにやを設立した泉さん。代表取締役としてご活躍される中で、よさこいとの両立をどのように考えていたのでしょうか。
ーーー結成されて31年。長年トッププレイヤーとしてご活躍され続けることの大変さがあると思うのですが、率直なところいかがでしょうか?
そうですね。正直毎年、仕事との両立は大変です。日常の仕事と別に毎年すべて新しくなるよさこいを創ることは、大変な熱量をかけないと難しいのです。帯屋町(現店舗)に店舗を引っ越した年は、工事が遅れ7月後半になり、よさこいができるのかどうかぎりぎりまで不安だらけでしたが、でもその年に、地方車からみた景色に私自身感動しました。沿道から見てくれているお客さんと踊り子さんが「笑顔のキャッチボール」をして、そこからたくさんの笑顔が生まれていることに気が付いたんです。
ーーー笑顔のキャッチボールですか。
笑顔って、無理矢理笑ってもらうのは無理じゃないですか。そんな中で見た、踊り子さんとお客さんの笑顔のキャッチボール。
それが相乗効果となってどんどん笑顔の輪が広がっていく。それを見た時に、こんなたくさんの笑顔を高知の街から失くしたらいかんなと、勝手な使命感が生まれた事で、何とか続けることができたんだと思いますね。
今年の楽曲に込められた想い「ニコニコで自然に涙が出る、そんな楽曲を」
ーーーここ数年、コロナの影響で全国のお祭りがストップすることになりましたが、ほにやとしては、改めてどういうよさこいを表現されていきたいですか?
よさこい祭りは来年で70年目。お祭りがストップしたことは大変残念なことではありましたが、立ち止まったことで見えてきた大事な部分があると思っています。最初にも言いましたが、よさこいは神様がいないお祭り。つまりは色々な意味で、市民から愛されないと続いていかないお祭りです。『踊る人と見る人が一緒に創るよさこい』こそが“ほにやよさこい”なのかなと。だからこそ、やっぱり高知によさこいがあってよかったねと思ってもらえるよさこいを創っていきたいと思っています。
ーーー今年は2022よさこい鳴子踊り特別演舞という形での開催になりましたが、作品にはどんな想いを込められたんですか?
ほにやとしては「今年だからこそこれからのよさこいを考えて、前へ進むことが、次の世代によさこいを引き継ぐことに繋がる」という想いでした。ほにやは結成したときから、「子どもから大人まで」色々な年齢の人で構成されています。今年は3歳から60代の踊り子さんが参加してくださり、色々な年齢、色々な立場の人が、ひとつのことに一生懸命前向きに挑戦して創っていくという素敵な時間を共有させていただきました。今日はそんなほにやよさこいを観た子供さんがお店に鳴子を買いに来てくれ、ほにや節を踊ってくれました。そんな風によさこいが当たり前にある風景をこれからも残していきたいと思っています。
ーーー素敵な光景ですね。今年の楽曲もとても素敵でした。
いつもだったらテーマを決めて曲づくりを進めるんですが、今回は私の中で一つ強いイメージがあったんですよね。それは、お祭りの当日、踊り子さんも沿道のお客さんも一緒に「やっぱり、よさこいがあってよかったね」とニコニコの笑顔で、そして自然に涙を流しながら、お互いにエールを送るような、皆が前を向いている景色。そういう曲にしてくださいとお願いして、完成したのが今年の作品です。
ーーーだからこそ人を魅了し続けるんでしょうね。素敵なお話をありがとうございました。
こちらこそありがとうございました。よさこい祭りの醍醐味はなんといっても街も人も巻き込んだ流し踊り。是非来年、高知でお待ちしています。
時代の変革を肌で感じてこられたからこそ、多くの人たちを魅了し続けるよさこいを創り続けてこられた泉氏。今回のお話を通じて、芯から美しいほにやの魅力に迫ることができたのではないでしょうか?
泉さんが志す「踊る人と見る人で創り上げるよさこい」を創るため、「ほにやよさこい踊らにゃそんそん♪」の掛け声とともに、笑顔の中で皆で一緒に”よさこい”を創りませんか?
2023年8月、南国土佐・高知で「よさこい」を楽しみましょう!
取材 マツコ
執筆 芳村百里香