このページでは日本一暑いともいわれる熊谷の夏・7月に行われる「熊谷うちわ祭」をご紹介。なぜ、うちわ祭といわれているのか?そこにはちょっと面白い理由がありました。
熊谷うちわ祭(熊谷市)
江戸時代には中山道の宿場町「熊谷宿」が置かれ、交通・経済の拠点として発展してきた熊谷市。この地に鎮座する八坂神社(愛宕八坂神社)の例大祭として、例年7月19日〜23日の5日間にわたり行われるのが熊谷うちわ祭です。
八坂神社はその名の通り、京都で祇園祭が行われている八坂神社から神様を分霊し、熊谷の愛宕神社に合祀した神社です。
そのため京都の祇園祭と同様に、疫病が流行しやすい7月に、町の中で豪華絢爛な山車を曳き回し、ご祭神のスサノオノミコトをお神輿に遷して渡御するという形が祭りの基本になっており、その熱気は京都の祇園祭さながらということで「関東一の祇園」と称されています。
祇園祭については由来や歴史について詳しく解説した記事がありますので、ぜひあわせてご覧ください!
◎熊谷うちわ祭の見どころは?
祇園祭といえば何といっても、華やかで絢爛な山車や屋台!これらが町を練り歩く「巡行祭」が、お祭りの最大の見どころでしょう。
鉦・太鼓で賑やかなお囃子を奏でながら国道17号線を東へ進んで御仮屋へ、最後は市役所入り口交差点に12台の山車・屋台が扇形に並んだ様子は圧巻のひと言です。また、山車・屋台が一堂に会したときには鉦と太鼓を互いに激しく打ち鳴らし、「叩き合い」と呼ばれるお囃子の競演も行われます。
12台のうちの7台が「山車」と呼ばれ、二層式で上部に人形がせり上がってくる構造です。川越まつりの山車と同様に江戸の天下祭の影響が色濃く表れ、北武蔵の要衝であった熊谷と江戸との交流、関係の深さがうかがえます。
◎独特の儀式「年番送り」
熊谷うちわ祭では、8か町のうち1町が毎年持ち回りの当番「年番」となって、次の祭り終了まですべての統括ごと、雑用ごとを引き受けます。祭りの中で行われる年番の交代儀式が「年番送り」です。
四方を山車・屋台が囲む中、祭り関係者に見守られながらその年の年番町、翌年の年番町がステージに上がり、「年番札」が送り渡されます。
◎「うちわ」祭なのはなぜ?
お祭りの期間中、お神輿が出発する八坂神社を本宮、お祭り広場に設えたお神輿が鎮まる御仮屋を行宮(あんぐう)とも呼びますが、この行宮でお賽銭を納めたときなどにうちわをいただけます。現在はうちわですが、元々は赤飯を配っていたのだとか。
江戸時代、赤飯や小豆の赤い色は邪気を払い、病気を退け、厄除けになるといわれ、祭りのときに各家庭で赤飯を炊いたり親戚に配ったりすることは一般的に行われていたようです。熊谷でも商店で客に振る舞っていた風習が、「熊谷の赤飯振る舞い」として祭りの名物になっていきました。
しかしある年、天下祭でうちわが飛び交うことにヒントを得た料亭「泉州楼」の主人が、当時の必需品だったうちわを配り始めました。うちわといっても、和紙の表面に柿渋を塗った防虫性能が高くて丈夫な「渋うちわ」で、日本橋の老舗「伊場仙」製ということもあって、たいへん評判を呼んだそうです。
その後、各商店でも赤飯の代わりに渋うちわを配るようになり「買い物は熊谷うちわ祭の日」というキャッチフレーズまで生まれたのだとか。赤飯がうちわに替わった時代については諸説あり、江戸時代とも明治時代中期ともいわれていますが、うちわを配る風習は脈々と続いて現代にいたります。
◎2023年の開催は?
例年は5日間にわたるお祭ですが、2022年に続き7月20日(木)~22日(土)の3日間の開催となりました。とはいえ内容は、20日のJR熊谷駅北口での初叩き合いをはじめ、21日には巡行祭、22日には行宮祭に曳っ合せ叩合い、年番送りとコロナ禍以前の状態に近い形で行われ、大いに賑わいました。
来年の予定はまだ発表になっていませんが、お祭りについての詳しい情報は熊谷うちわ祭公式サイトなどからご確認ください。
おわりに
今回は「埼玉三大祭り」と称される3つのお祭りをご紹介しました。
それぞれにルーツや由来は違えど、江戸から近い北武蔵という地理的事情と密接な関係性が、少なからず祭りの内容に影響を及ぼしていることが分かり、とても興味深いですね。
一方でそれぞれの祭りで独自に発展した部分もあり、楽しみは尽きません。埼玉を代表する3つのお祭り、次の開催日には、ぜひ現地に見にいってみませんか。