年の瀬も押し迫ってくると、お正月の飾り付けやおせち料理の準備も総仕上げ!年内早めに片を付けて、大晦日にはすっきりした気持ちで年越しそばを食べて、除夜の鐘をつきに行って、ゆったり厳かに新年を迎えたいものですね。
とかく年末年始には伝統的な風習や行事がたくさんありますが、それらは一体なぜ始まって、何のためにやっているのでしょうか?この記事で詳しくご紹介しましょう。
(この記事は2018年に公開されたものに加筆修正しています。 2023年12月23日 編集部更新)
目次
年越しそばの由来は、そば粉で〇〇をしたから!?
年越しそばを食べる文化が定着したのは江戸時代のこと。細く長くのびることから延命長寿のご利益を授かるといわれ、「寿命そば」と呼ばれているものもあるそうです。他にも「家族の縁が長く続くように」とか「切れやすいそばを食べて一年の厄を断ち切れるように」など由来には諸説あり、二重三重の意味がと願いが込められているようです。
さらに、薬味のネギも神社の神官である禰宜(ねぎ)にかけて厄を払うといわれていたり、ねぎらうという意味の「労ぐ(ねぐ)」にもかけているとか。
面白い由来としては、江戸時代に金細工師たちが、そば粉を練った団子で大晦日に掃除をしたからという説があります。あちこちに飛び散った金や銀の粉をそば団子で取ったことから、蕎麦は金を集める、転じて金運に恵まれるといわれるようになり、大晦日の縁起物になったのだそうです。
そして年越しそばといえば、大晦日のいつ食べるのか?年を越えてしまったらダメなのか?地域によって具材は違うのか?といった素朴なギモンもよく話題になりますね。その答えは…ぜひ下記記事でご確認を!
除夜の鐘は煩悩の数か、それとも…
大晦日のことを除日(じょじつ)といい、「除夜」は大晦日の夜のこと。お寺の境内にある大きな鐘を梵鐘(ぼんしょう)といいますが、あの鐘を除夜に鳴らすのが「除夜の鐘」です。
梵鐘自体は普段から、朝夕の時報や法要開始の合図として修業を積んだ僧侶が鳴らしています。除夜の鐘は、一般の人にとっても「一年の節目に苦しみや煩悩を断ち切るもの」とされ、年末の特別な風習として広まったようです。
煩悩は一人の人間につき108個あるといわれ、除夜の鐘を108回ついて鳴らすのも煩悩を一つずつ打ち消していくから、という説はよく耳にしますね。
他にも四苦(4×9)+八苦(8×9)で36+72=108となるため、四苦八苦を取り払うために除夜の鐘を108回つくという説もあります。
1年の季節の変り目を、24に区分したものが 二十四節気、ほぼ15日間です。 さらに3つに分けた期間、約5日が[72候]です。イラストとともに紹介し続け、おかげさまで来年の立春から4年目に入ります。今日は日本の気候一年図のご紹介。明日は第47候 虫冬蟄(むし ふゆこもり)です。※イラストはIDOM BIN氏 pic.twitter.com/pwdMTgkDd5
— JunkoWatabe (@watabe_junko) September 26, 2023
さらに、季節の分け方である「節気」や「候」を合わせて108という説も。春夏秋冬をそれぞれ6つずつに分けた、春分や冬至などに代表される「24節気」と、その24節気の一気を3つずつに分け「桜始開(さくらはじめてひらく)」や「地始凍(ちはじめてこおる)」という呼称を付けた「72候」と、12か月を足すと全部で108になるからという理由も、新しい年と季節を迎えるタイミングにはふさわしいような気がします。
108回は年内にすべてついてしまう所と、最後の1回だけ新年が明けてからつく所、特に回数を制限せずについている所など様々です。また、一般の方に鐘をつかせてくれるお寺もありますので、過去の記事をご参考にお近くのお寺がないか探してみてはいかがでしょう。
日本全国に数多ある梵鐘の中でも「日本三大梵鐘」と称されるものもあります。なかでも豊臣家滅亡の引き金になったとされる京都の方広寺の鐘も、例年除夜の鐘をつかせてくれる場所ですので、当時に思いを馳せながらつきに行くのもいいかもしれません。
門松やしめ縄は神様に来てもらう目印
門松やしめ縄は、お正月になると各家庭にやってきてくれる神様が、家を間違わないための目印といわれています。
この神様は、歳神(としがみ)さま、年神さま、歳徳神などと各地で呼び名は様々ですが、おおむね元は各家庭のご先祖様の霊(祖霊)のことでした。祖霊がやがて山の神となり、正月には年神さまとして家にやってきて、五穀豊穣や子孫繁栄、家内安全などのご利益をもたらしてくれると考えられていました。
門松(かどまつ)は文字通り、家の門の前などに立てて飾ります。別名で松飾り、立て松などとも呼ばれるように、材料に使われるのは松をはじめ縁起が良くお祝い事につきものの竹、梅などです。
常緑樹の松は不老長寿のシンボルで、古くから神様が宿る木ともされ、平安時代頃からすでに飾られていたとか。竹はまっすぐに伸び、梅は雪に耐えて厳寒の季節に咲くことからどちらも強い生命力の象徴です。
しめ縄は神社や神棚などで目にすることがありますね。しめ縄で結界をつくると、その内側が清らかな場所となって、神様が安心して降りてきてくれるといわれています。
お正月のしめ縄飾り(しめ飾り)も同じで、大掃除で家を綺麗にした後、自分の家が歳神様をお迎えするのにふさわしい清浄な場所であることを示すためのもの。
ついている飾りには意味があり、例えば橙(だいだい)は「代々(だいだい)」にかけて子孫代々続きますようにという願い、エビは腰の曲がった老人に見えることから長寿への願いが込められています。
気をつけたいのは飾るタイミング。一般的には12月28日ごろに飾るのがよく、29日は「苦立て(くたて)」といい、31日ぎりぎりは「一夜飾り」と言われるので避けたいところです。
鏡餅を飾って食べることが、やがて「お年玉」の起源に
門松やしめ縄飾りは門や玄関に飾りますが、屋内に飾るものといえば鏡餅。「鏡」は三種の神器の一つでもあり、ご神体が鏡という神社も少なくありません。そのような意味合いを持つ丸い鏡を模した鏡餅は、神様に降りてきてもらうための依り代で、家の中でも床の間など格の高い場所に供えます。
そして、歳神さまの生命力=魂が宿った餅を食べてパワーをいただくのが、歳魂(としだま)=お年玉の由来だとする説があります。お供えした餅を歳魂として、三が日にお雑煮に入れて食べたり、家長が子どもや奉公人に健康や豊作を願って餅玉を配る風習があったそうです。
他に、1年の初めに賜る物なので「年賜(としたま)」、新年のお祝いの贈り物全般を「年玉」と呼んでいたことからきているという説も。さらに、昔は数え年だったので、新年を迎えて歳玉のお餅を食べることで全員が一斉に歳を取る、という考え方もあったようです。
お年玉が餅から現金になったのは、江戸時代に商家が奉公人にお小遣いとしてあげていた、または昭和30年代に都会でお金を渡すようになったなど諸説があります。
お雑煮・おせちは歳神様へのお供えのお下がり
現代では、お雑煮もおせち料理もお正月の期間はできるだけ台所に立たなくて済むようにというメリットが強調されがちですが、元々は歳神さまにお供えして宿ったパワーをいただくためだということは、先述の鏡餅のところで紹介しました。
正月に雑煮を食べる習慣が始まったのは平安時代といわれます。大晦日から歳神さまに供えていた野菜や魚介類を、その年の最初に井戸や川から汲んだ「若水」と、新年最初の火で煮込んだもので、語源は「煮雑ぜ(にまぜ)」で、色々な具材を煮合わせたことからきているそうです。
現在、日本の各地ではダシや味付け、具材なども千差万別のお雑煮が食べられています。一点だけ共通点があり、それはお餅が入っているということ。雑煮は歳魂として鏡餅を食べるための料理であったことと同時に、餅は農耕民族である日本人にとって、お祝いごとや特別な「ハレの日」の食べ物でした。
室町時代の頃は、庶民にとって餅は高価だったため代わりに里芋が入っていたようですが、江戸時代には一般庶民でも餅が入手しやすくなり、丸餅と角餅、味付けも味噌と醤油など東西の違い生まれていたと考えられています。
そして何といってもこれを食べなきゃ新年が始まらないというのが、おせち料理。
神様に供える食べ物のことを神饌(しんせん、みけ)といいますが、季節の節目のお供えを指す「御節供(おせちく)」が略されて、おせちと呼ばれるようになりました。季節の節目の節句は「桃の節句」や「端午の節句」など、お正月だけではなく3月3日や5月5日のことも指しますが、その中でも最も重要視されたお正月の料理が「おせち」という呼称で残っているようです。
神饌を供えて神様をもてなし、そのお下がりをいただくことで神様のパワーをいただき、神様との関係を強いものにすることを「 神人共食(しんじんきょうしょく)」といいます。お雑煮と同様、おせち料理もその考えに則ったものです。
おせち料理は、重箱に縁起のよい食材を詰めて、めでたさを「重ねて」いただく料理です。
重箱は、外が黒、中が赤のものが正式。四段重ねにすることが多く、一番上の一の重には、祝い肴の料理を詰めるのが一般的です。例えば、昆布巻きは子宝、だて巻きは文化の繁栄、栗きんとんは財宝などの思いが込められています。
二の重には、紅白なますや菊花かぶなどの酢の物を。三の重は焼き物が中心で、えびや鯛の塩焼き、地方によっては肉料理を詰める地方もあります。与の重は野菜たっぷりの煮物料理を。はすは先が見通せる、ごぼうは無病息災などの意味が込められています。
お正月の三が日におせちやお雑煮を食べる際には「祝い箸」という両方の先が細くなったお箸を使います。これは取り箸と食い箸の両方に使えるようにというわけではなく、一方を人が使い、もう片方は神様が使う「神人共食」を表したものです。
初詣は鉄道会社のプロモーションで生まれた!?
平安時代の書物には、大晦日から元旦にかけて、家長が徹夜で氏神神社にこもる「年籠(としごも)り」という風習があったことが書かれています。
やがてこれが大晦日の夜の「除夜詣」と元日の「元日詣」とに分かれ、江戸時代には、氏神様に限らず、その年の縁起の良い方角にある社寺に参る「恵方詣(えほうもうで)」や、崇敬する社寺や好みの社寺に参る人が増えました。
「初詣」という言葉が生まれて定着した陰には、明治時代に鉄道が開通し、遠方の社寺にも行けるようになったことで、鉄道会社が鉄道に乗って正月に参拝に出かけてもらうため、「初詣」と名付けたとされています。詳しくは下記記事をぜひご覧ください!
どんど焼きで歳神様をお見送り
お迎えした歳神様にお帰りいただくのが、旧正月の1月15日前後に全国各地で行われる火祭りである「どんど焼き」。他にも呼び名は地域ごとにたくさんあって、とんど焼き、どんどん焼き、どんと焼、さいと焼き、おんべ焼き、左義長(さぎちょう)など、実にバラエティ豊かです。
名前は違えど、いずれもお正月飾りや書初めなどを持ち寄って焼く行事で、歳神様がその煙に乗って天上に帰っていくといわれています。
その規模もさまざまですが、関東圏だと「大磯の左義長」は400年もの歴史を持ち、国指定重要無形民俗文化財に登録されています。
終わりに
こうしてみると、大掃除で清めた空間に歳神様を迎え、お送りするという一連の流れがあるお正月行事。
その流れを汲むことで、清々しいお正月が迎えられるのかもしれません。
最近では形骸化しているものもありますが、由来や込められた意味を少し意識してみるだけで日常がもっと豊かに、活き活きとしてくるような気がします。できる範囲で、気持ちをこめて準備をしてみようと思いました。
皆様にとって新しい一年がよりよい一年になりますように!