毎年霜月(旧暦の11月)に行われていたことから「霜月神楽」や「霜月祭り」と呼ばれている行事をご存知でしょうか?
現代でも11月に開催する所もあれば、旧暦を新暦に当てはめると1か月ほど遅れるため12月以降に開催する所もありますが、今でもこの行事を行う所は日本の各地に存在しています。
霜月神楽の内容は場所によって様々ですが、共通する特徴は「湯立(ゆだて)」という神事と「神楽」が組み合わされていること。この記事では、そんな霜月神楽がどんな民俗芸能なのかをじっくり解説し、代表的な霜月神楽についてもご紹介します。
湯立とは?神意を問い、邪気を払い清める儀式
まずは、霜月神楽の中で行われている「湯立」について解説しましょう。
湯立とは、時折、神社の境内でも見かけることのできる神事の一種です。お湯を沸かすことを「湯を立てる」と言いますが、大きな釜でお湯を沸かし、巫女や神職が笹などでお湯を自らと周囲の参拝者に振りかけます。
沸かしたお湯には「払い清める力」があるものとみなされ、邪気を払って無病息災を祈る清め払いの神事として行われています。
古くは「問湯(といゆ)」とも呼ばれ、神意を問う、つまり神からのお告げを得る儀式として行われていました。
神前で沸かしたお湯を神に献上すると同時に、立ち込めた湯気によって神がかりとなった巫女を通して、神のお告げを得ていたのです。
この問湯から派生したとされるのが、日本書紀にも記述がある「盟神探湯(くがたち)」という裁判方法。釜で沸かしたお湯に手を入れさせ、物事の真偽や、疑いをかけられた人の正邪を神に問うという呪術的な方法です。この場合、やけどを負えば罪があり、やけどを負わなければ罪はないものとされました。
盟神探湯は中世になると「湯起請(ゆぎしょう)」と名前を変えて行われるようになります。被疑者に無罪を主張する文章を書かせた上で、熱湯の中の石を拾わせ、やけどの有無で有罪・無罪を判断していました。室町時代には、足利義教が政治的裁判に湯起請を利用していたことが記録に残っています。
現在は神意を問う狙いはほぼ薄れ、湯立は無病息災などを祈願して全国の神社で広く行われており、開催時期も様々です。例えば滋賀の湊川神社では2月の初午祭に、京都の上賀茂神社では3月のひな祭りに行われたりしています。
湯立の多くは「巫女が手に持った笹を湯に浸して、周囲に振りかける」という形式で行われますが、中には特殊な湯立も。香川県丸亀市の垂水神社では、沸かしたお湯にご神体を浸すという特殊な形式で行われています。
甘樫坐神社の盟神探湯(くがたち)神事 pic.twitter.com/rQPrkchIAT
— うめぞー改ナタさん (@shima_nata) April 3, 2016
言うまでもなく、盟神探湯や湯起請は現在行われていませんが、奈良県明日香村豊浦の甘樫坐神社(あまかしにいますじんじゃ)では、日本書紀に記されている盟神探湯の故事にちなんだ「盟神探湯神事」が、毎年4月に行われています。
神楽とは?起源と語源、御神楽と里神楽
霜月神楽で行われる「湯立」について知っていただいたところで、次は「神楽」についてです。そもそも神楽とはどんなものなのでしょうか?
神楽とは呼んで字のごとく、神への楽(芸能)のことです。神楽のはじまりと言われているのは、日本神話にある天鈿女命(あめのうずめのみこと)の天岩戸の前での舞い。岩戸に隠れてしまった天照大御神(あまてらすおおみかみ)を誘い出すために、面白おかしく舞を舞ったと伝えられています。
また、神楽の語源は「神座(かみくら・かむくら)」からきているといわれ、神座は「神の宿るところ」「招魂・鎮魂を行う場所」を意味します。
神座に神々を降ろし、巫女が人々の穢れを払ったり、神がかりとなって人々と交流したりするなど、神と人との宴の場であったとされています。神座で行われていた歌や舞が、次第に神楽と呼ばれるようになったのです。
現在行われている神楽の形は様々ですが、宮中で行われる御神楽(みかぐら)と、民間に伝承された里神楽(さとかぐら)の2つに大別され、里神楽はさらに4つに分けることができます。
御神楽は、一般には非公開で行われる宮中の恒例行事。西暦1002年に宮中の内侍所で奏されて以降、毎年行われるようになり、現在も毎年12月中旬には、皇居内の賢所(かしこどころ)の南庭にある神楽舎で「恒例御神楽之儀(こうれいみかぐらのぎ)」が行われています。
この御神楽では、天照大御神の一年の加護に感謝して、夕方6時頃から深夜12時頃まで舞われます。皇族方の拝礼の後、榊を手に取った舞人が、琴や笛、篳篥(ひちりき)などの楽器によって演奏される秘曲と、神楽歌に合わせて静かに舞います。
基本的には宮中で行われる御神楽ですが、他の場所で行われることも。伊勢神宮で、20年に一度の式年遷宮祭の最後を飾る神事として、新しく建設されたお宮の四丈殿にて、天皇によって派遣された宮内庁楽師が奉納する御神楽はその一例です。
里神楽の4つの分類
一方、里神楽のほうはさらに①巫女神楽、②採物(とりもの)神楽、③湯立神楽、④獅子神楽の4つに分類されます。
①巫女神楽
巫女神楽は別名「巫女舞」。神社に奉仕する「巫女」が奉じる神楽のことで、神楽と聞けば巫女神楽のことを思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。
古代からの巫女神楽は、巫女が右回り・左回りと繰り返し旋回して舞い「神がかり」になる、いわゆる一種のトランス状態となって神のお告げをもたらすような舞でした。しかし江戸時代にもなると、神霊の憑依などの霊的現象に否定的な考えが広まり、明治時代に入ると政府によりそのような巫女舞は禁止されてしまったのです。
その後、春日大社の富田光美氏らの努力によって復興された巫女神楽は、呪術性が薄れ、芸術性が高く洗練されたものへと変化を遂げます。神をもてなすために神歌とともに優美に舞う八乙女(やおとめ)といわれる舞がありますが、現在、神社などで舞われる巫女舞の多くは八乙女の舞です。
他にも明治時代以降に復興あるいは創作された舞は多く、「浦安の舞」もその一つ。これは昭和15年の「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせて創作されました。
当時は、日本全国のみならず植民地に鎮座する神社でも講習会が開かれ、奉祝会当日に一斉に奉奏するという徹底ぶりでした。こうした経緯から、現在でも全国の神社で広く行われています。
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古い時代の巫女舞の様式を残すものとしては、滋賀県の阿志都彌(あしづみ)神社で、毎年9月23日に行われる「御牢開神事(みろうびらきしんじ)」があります。
拝殿中央に青竹を組んで設置された「牢」の中に入った巫女が、鈴と扇を手に牢の中で舞い、左右に旋回する動きが多く見られます。
②採物神楽
採物(とりもの)とは、手に持つ道具のこと。お祓いや地鎮祭などの神事で神職がひらひらとした紙を振っているのを見たことがあるかもしれません。神楽においては、榊、幣(みてぐら)、杖、篠(ささ)、弓、剣(たち)などを持って演じられる神楽を「採物神楽」に分類します。
場を清めて神を迎え、導いてもらうため、おもに面を付けずに採物を持って舞う儀式的な舞と、神社の縁起や神話を題材にして、面や華やかな衣裳を着けて舞う演劇的な舞があるのが一般的な構成です。
採物神楽は、ルーツが出雲地方にあるため「出雲系神楽」とも呼ばれ、発祥と言われるのが島根県松江市鹿島町・佐太神社の神事。中国地方をはじめ、四国、九州、北海道、関東へと広範囲に広がり、受け継がれています。
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現在、佐太神社の神楽は一年に一度、御神座のござを敷き替える神事「御座替祭神事」の際に舞われます。この「佐陀神能(さだしんのう)」は、神への祭礼の「七座」、祝言の「式三番」、神話劇の「神能」の三部構成。「七座」は、面をつけずに、剣や幣、茣座(ござ)などの採物を持って舞われます。
「神能」はさまざまな面が用いられ、囃子とともに演じられる優美な舞。京で学んだ神官が能を取り入れ、従来の神楽を格調高いものにつくり上げたと伝えられています。
他にも採物神楽の例として有名な山口県の「三作(みつくり)神楽」は、7年に一度の酉年・卯年に行われます。面をつけた採物舞を多く伝えていて、東西南北と中央の五方を意識した所作や、躍動的な所作が特徴。天井から吊られた縄を登り、頭を下にして降りてくる「三方(さんぽう)荒神の舞」が見せ場です。
観光客向けの夜神楽が1年中行われていることでも知られるのが宮崎県の「高千穂神楽」。高千穂地域の各地区で行われる神楽は毎年11月から2月にかけて、「神楽宿」と呼ばれる場所に里人たちが集い、夜を徹して33番の神楽を奉納します。
神々に感謝をささげる儀式的な舞や、神話を題材とした演劇的な舞などがありますが、特に明け方の「岩戸五番」と呼ばれる舞開きの演目がクライマックスです。
③湯立神楽
湯で払い清める湯立の神事が取り込まれた神楽が「湯立神楽」です。今回、ご紹介している「霜月神楽」は、すべての神楽のなかで霜月(旧暦11月)に行われているものを指しますが、行う内容からほとんどがこの湯立神楽に分類されています。そして現存する湯立神楽の多くが霜月に行われているため、湯立神楽と霜月神楽は、しばしばほぼ同義的に扱われます。
湯立ての儀式を主とする神楽は、元々伊勢神宮で行われていた神事がルーツとされ、元祖が絶えた後もその流れを汲むものは伊勢系神楽、伊勢流と呼ばれ、全国に点在しています。
例えば、東北では秋田「保呂羽山(ほろうさん・ほろわさん)の霜月神楽」、中部地方の愛知「花祭」、長野「遠山の霜月祭り」、同じく長野「天龍村の霜月神楽」が有名です。この4つの湯立神楽については、後ほど詳しく紹介します。
④獅子神楽
獅子神楽は、「獅子頭」を用いる神楽のことで、さらに二つの系統に分類できます。一つ目は、東北地方に伝わる修験者の神楽で、別名「山伏神楽」です。
神仏が様々なものに姿を変え、人間の目に見えるかたちで現れたものを「権現(ごんげん)」と呼びます。東北の山伏神楽においては獅子頭をご神体=権現様として、手に持って舞う「権現舞」を行うのが大きな特徴です。
神楽権現舞
素晴らしい😊#花巻まつり #岩手 #神楽権現舞 pic.twitter.com/nGDP8ADH8M— minta (@mi83582749) September 10, 2022
この系統には岩手県の「鵜鳥(うのとり)神楽」や「黒森神楽」、「早池峰(はやちね)神楽」などが挙げられます。儀式的な舞のほか、神話を題材にした舞や滑稽な舞なども行いますが、いずれも共通しているのは、神の仮の姿である獅子頭による祈祷の舞「権現舞」が舞われることです。
そして獅子神楽のもう一つの系統は、伊勢神宮や熱田神宮の神様の神威をうつした獅子頭を持って、諸国を巡業する「太(大)神楽(だいかぐら)」です。
太神楽は「代神楽」と書かれることもあり、伊勢詣に行きたくとも行けない人々の代わりに、伊勢神宮の使いとしてやってきて舞や芸によってお祓いや祈祷を行いました。現在でもお正月などに獅子舞がやってきて、人々の頭を噛んで邪気や厄を払う風習がありますが、これも太神楽の流れだといえます。
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— 桔梗 (@k_kikyo) August 5, 2014
太神楽はお祓いの意味を持つ獅子舞のほか、傘回しなどの曲芸も披露され、庶民を中心に人気がありました。現在も西日本を中心に5社家が巡行を行っており、新年から始まる巡行を前に毎年12月24日には、本拠地である三重県桑名市の増田神社に5社家が集合して、全曲を舞う総舞(そうまい)が行われます。
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一方、江戸に伝わった太神楽は寄席に出て人気を博し、今では投げ物や傘回し、あごの上に板や茶碗を積み上げるバランス芸といった曲芸が一人立ちするようになりました。
昭和生まれ世代は、テレビにもよく登場した傘回し芸の海老一染之助・染太郎兄弟をご存知でしょう。「いつもより多めに回しております!」で知られる賑やかな芸は、おめでたい席にぴったりです。