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家康の従弟!「チームラボ 福山城 光の祭」が開催中の福山藩祖・水野勝成はどんな人物だったのか

更新日:2023/1/8 乃至 政彦
家康の従弟!「チームラボ 福山城 光の祭」が開催中の福山藩祖・水野勝成はどんな人物だったのか

江戸時代初期、1622年に建造され、近世城郭においては、最後の新規築城にあたる福山城。明治時代に入り、廃城令を免れた天守は国宝に定められたものの、第二次世界大戦の空襲によって焼失、その後1966年に御湯殿・月見櫓とともに再建。そして築城400年を迎えた2022年8月、全国唯一といわれる北側鉄板張りが天守に復元されました。

ただいま福山城では、チームラボによる「福山城 光の祭」が2023年1月29日(日)まで開催中。チームラボのテクノロジーが城や石垣に投影され、唯一無二の空間を生み出しています。そんな福山城とはどんな城だったのか?城主であり福山藩祖の水野勝成はどんな人物だったのか?歴史家の乃至政彦さんに伺いました。

水野勝成の活躍

水野勝成像

備後国福山城(広島県福山市)10万石の初代城主にして福山藩祖である水野勝成(みずのかつなり)は、戦国末期の武将である。

時代としては、織田信長が尾張から美濃に出ようとしたり、上杉謙信が東国で武田信玄や北条氏康と争っている永禄7年(1564)に三河で生まれた。しかもなかなかの血筋で、勝成の叔母である「於大の方」(大河ドラマ「どうする家康」にも出演)は徳川家康の生母であった。

家康とは従弟の関係だったのである。

元服してからは多数の戦いに従軍して、徳川家の雄飛を支えた。

全国的な知名度はあまり高くないかもしれないが、文武両道にして戦歴豊か、そして何より才覚あふれる為政者でもあった。

最初の武功

高天神城 写真/PIXTA

天正3年(1577)勝成の初陣は遠江高天神城の戦いである。

鎗を手にする14歳の勝成は、手勢を連れて敵陣に挑み、侍首を2つ得た。目覚ましい武功である。

これを喜んだ信長は、勝成に感状を発給した。

信長から見込まれた少年だけあって、勝成はその後も各地で武功を重ねた。しかし父親との折り合いが悪く、その家臣を無礼討ちにしたため、一度出奔したばかりか、その父親が「あいつを召し抱えないように」と各所に触れて回ったことで、なかなか仕官先が見つからなくなった。何年も放浪生活を続けたあと、西国は備中の三村親成のもとに身を寄せることになった。

放浪生活

若き日の素行はかなり悪かったらしく、見知らぬ子供にゴミを食べさせたり、無礼と見た者を切り捨てたり、恩人である三村親成の家臣の娘に手を出したりと、なかなかの破天荒ぶりであった。父親から愛想を尽かされたのも無理からぬところではなさそうだ。

そんな厄介な若者を面白いと思い、三村親成のように自ら世話を買って出る人もいた。捨てる神あれば拾う神ありということになろうが、親成の一族はのちにこの時の縁がもとで大きな幸運を手に入れることになる。ただ、勝成は親成の月見の会に招かれた時、茶坊主の態度が気に入らず、これを斬り捨てて出奔している。

それでも三村親成は、事件の三ヶ月後に帰ってきた勝成を特に咎めることなく迎え入れた。以降はさすがに破天荒な行動を慎んだようである。

城主時代の勝成

「チームラボ 福山城 光の祭」より福山城天守曲輪

水野勝成は、その後三河に帰り、父親と仲直りした。そこからは粗暴な振る舞いも見せることなく、持ち前の武芸を発揮して、目覚ましい戦功を積み上げていった。

特に慶長5年(1600)の関ヶ原合戦での活躍は、徳川家康から高く評価され、従五位下(じゅごいげ)・日向守(ひゅうがのかみ)に推挙された。勝成37歳のことで、大変な名誉であった。

その官名と戦歴から勝成の異名は「鬼日向」として鳴り響いた。しかし現在は一介の武人としてだけでなく、大領の城主となってからの事績も高く評価されている。

やがて大坂の陣で手柄を挙げた勝成は、大和郡山6万石の城主となった。ついで元和5年(1619)のこと。安芸から備後に渡る大領主・広島藩主の福島正則が幕府から法度の違反を詰問されて、改易されることになった。勝成はその跡地を一部任されることとなって、備後に移封された。入ったのは、備後の神辺城である。

すると勝成は三村親成の息子たちを神辺の城内に招き入れ、なんと家老に抜擢した。過去の恩義を忘れていなかったのである。

「チームラボ 福山城 光の祭」より福山城石垣

それからは福山築城、開墾推進、治水工事、畳表などの地域産業振興を大々的に行ない、領地経営に専念したという。三村一族の支えがあってのことだろう。元和8年(1622)勝成は、神辺から少し南方に福山城を完成させると、この地の発展により注力していくこととなる。

ここに幕府から「西国の鎮衛」と頼りにされる大名の威風を残したのである。

慶安4年(1651)3月15日、勝成は88歳で天寿を全うした。

さて、福山城址では現在「チームラボ 福山城 光の祭」が開催されている。福山城築城400年ということで、城の造りを語り合い、初代藩主の水野勝成が光で浮かび上がる演出を楽しむことができる。

近くにお住まいの方はぜひ立ち寄られてみてほしい。当時への思いを馳せることが、勝成という偉人の供養になるだろう。

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この記事を書いた人
歴史家。1974年生まれ。高松市出身、相模原市在住。著書に『謙信越山』(JBpress)『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。書籍監修や講演でも活動中。昨年10月より新シリーズ『謙信と信長』や、戦国時代の文献や軍記をどのように読み解いているかを紹介するコンテンツ企画『歴史ノ部屋』を始めた。

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